コンセプトに高い精神性があり、体力・気力が充実しているとき、画面に向かうと不思議な「気」のような、えたいの知れない「塊」が絵筆の先から描く絵の中にすうっと入ってゆくのが分かるときがある。
この瞬間を感じ取ったときの絵は、作品がピンと立ち上がり、それ以後どのような形や色彩を手当たり次第に描き込んでも絵が崩れるということもない。そして完成するときまで間違いというものもなく、無意のうちにすべてより良い方向に作画が積み増されていく。描く醍醐味(だいごみ)が一筆ごとに増し、万全のバランスが生まれてゆく。
まさに、食事をしている間中、上等なワインが終始、良い方向に上りつめていく、あの歓喜にも似ている。画家として生まれた幸運を感じないわけにはいかない。
しかし、苦渋に満ち、袋小路に入り込み、二進(にっち)も三進(さっち)もいかなくなるときもたまにはある。だが、粘り強くあきらめなければ、この難産な子(絵)が重厚な輝きを増すこともなきにしもあらず、である。
このようにして、常に私は描くことの喜びの中で生かされているために、世間さまが大騒ぎをしていても、重大な危機にさらされていようとも、気付くことに後れを取ることがしばしばなのだ。
ところが、絵を描き終えた後、昨今のわが国の姿を冷ややかに細めた目で見ていると、口当たりの良い文言が一瞬、良い方向に上り詰めていくように思えるが、あっという間に青ざめて、急激に味わいが失速してゆく。平凡な、悪酔いをするワインに似ているようにも思える。
これらのワインは生まれた土壌が悪いのか、気候や熟成に無理があったのか、あるいは酸化防止剤のいたずらか、幾重にも複雑な理由があるのだろうが、まずその種に「気」というものが入り込んでいなかったともいえるのではないだろうか。
「気」とはいかにも非科学的な物言いだが、満足感や愛情、細胞一つ一つの喜びといったことが病を治癒する大きな力を発揮するように、数値にも表せない、目にも見えない「気配」といった代物こそ、今日の学問や政治の中で最も大切なことではないだろうか。
「ミラーニューロン」という神経細胞がある。自分と同じ行動をしている他者を見たときに、ミラー(鏡)のように同じ反応をすることで、例えば長年暮らしている夫婦の顔が似てくるのも、ミラーニューロンの影響という。
ビタミン剤のような画家の気力とともに明るく元気な色彩がバランス良く配色され、調和がとれ、時代の進取の気性と多少の苦み、精神的な高みが描き込まれた絵を、シャワーを浴びるように毎日見ていたとしたら…。見る人の目から脳に入っていく絵画の光は、やがてその人の細胞を元気ある方向に揺り動かすという薬効がある。
同様に国のトップが毎日、新聞やテレビに現れて発する言葉や、目の光が何百万人という国民にミラーニューロンと同じように伝搬しているに違いない。政治家の発言によっては、国民のほとんどがインフルエンザのような病に冒されてしまう恐れがあると危惧(きぐ)するのである。
「ここは、ぼくら、悪童の遊び場。映画の撮影隊に遭遇したこともありましたねぇ」
そう回想するのは、猿沢池のほとりで育った洋画家の絹谷幸二さん。奈良市東部、春日山・御蓋山・若草山などの西麓の山野を総称して春日野と呼ぶ。そのうち、絹谷さんがスケッチ帖に鉛筆を走らせている、ここ春日大社参道の南側を特に飛火野という。飛火とは烽の意。古くは狼煙を上げていた場所ともされる。
「世阿弥が書いた名作『野守』の舞台でもあります」
いつのまにか傍に寄ってきた鹿を横目に絹谷さんがいう。
「昔は、家の中にまで平気で入って来た。野生動物とこんなに身近に接することのできる都市はほかにない。自然と人間が共生してきたことを、もっと誇っていいのでは」
絹谷さんの生まれた元林院町は、かつて興福寺ゆかりの絵師たちが住み、絵屋町と称した。実家は江戸時代から続く由緒ある料亭だった。出入りする高畑サロンの文人墨客などの影響で、自然と、芸術や文学に親しむようになった。
学院では壁画科に進む。専ら、漆喰に水で溶いた顔料で描くアフレスコ古典画を学んだ絹谷さんは、現在、その壁画技法の国内第一人者だ。
「奈良の古さに対峙するには、フランスに代表される近代絵画ではなく、イタリアの古典を学ぶ必要があると思った」
1972年、高松塚古墳の石室内で極彩色の壁画が発見されると、絹谷さんはそれまで習得した技法を活かし、保存対策の一役を担った。
「人物群像の女性の顔を見ると、睫毛まではっきりと描かれている。これほど精緻な壁画は世界に類がない。古代人の絵画技術の奥深さに驚かされました」(撮影・田村邦男)
<飛火野へのアクセス>
飛火野/奈良市春日野町/東海道新幹線・京都駅下車~近鉄奈良線・近鉄奈良駅~「大仏殿春日大社前」バス停から徒歩で5分。
<プラス1>
奈良ホテル/1909(明治42)年に創業した奈良公園内の老舗。瓦屋根の本館は桃山御殿風檜造り。「高い天井にやすらぎを覚えます」と絹谷さん/0742・26・3300/奈良市高畑町1096/東海道新幹線・京都駅下車~近鉄奈良線・近鉄奈良駅~「奈良ホテル」バス停からすぐ。
近鉄奈良線の電車に乗って大和西大寺駅を過ぎるとまもなく、線路の両側に広大な野原が目に飛び込んでくる。今から1300年前にわが国の都城に定められた平城京。その北辺中央部に世界文化遺産に登録された平城宮跡がある。
「線路の南に朱雀門が見えると奈良に帰ってきたのを実感したもの。でも、今春からは、北にさらにスケールの大きな大極殿が姿を現したことで、宮殿をより立体的に体感できるようになりましたね」
そう話すのは、奈良市出身の洋画家・絹谷幸二さん。
「文化財は、むろん保護し、後世に伝えていかなければならない。その一方で、平城京の建物の復原工事のように、これからの文化財を創出する作業も重要だと思います」
大極殿は、政治や行政の最も中心となる建物。天皇の即位式や元日の朝賀などの国家的儀式はここで行われた。
平城京に都があった710年~784年の間に2度造られており、復原されたのは第一次大極殿。正面約44メートル、側面約27メートル。朱雀門の約5倍のボリュームがあり、朱色の柱44本、約10万枚の屋根瓦を持つ建物の傍に立つと大寺院の本堂のような迫力を感じさせる。内部には天皇が着座する高御座の実物大模型も展示されており、見物者の興味を集めていた。
「国家を人体にたとえるなら、奈良の地は子宮にあたる」
と喝破する世界的な洋画家。
「緊張した東アジアの政治状況の下、われわれの祖先は、九州から瀬戸内をめぐり、難波から大和盆地に到って、やっと一息ついたのではないか。『古事記』で“倭は国のまほろば”と詠われているのは、彼らの偽らざる本音だったのでしょう」(撮影・田村邦男)
<第一次大極殿へのアクセス>
平城宮跡/奈良市佐紀町/東海道新幹線・京都駅下車~近鉄京都線・大和西大寺駅から徒歩10分(11/7までシャトルバスを運行)。
<プラス1>
平城京なりきり体験感/平城遷都1300年祭にちなみ、平城宮跡会場に設けられた施設のひとつ。木簡作成などの仕事体験、疑似発掘体験、平城衣装体験などが楽しめる(11/7まで)。
奈良盆地の南部に鼎立して並ぶ大和三山。西に位置する畝傍山の南東麓にあり、約ツに16万坪に及ぶ神域を占めるのが、橿原神宮である。1890(明治23)年、『記・紀』の建国神話の中で初代の神武天皇の宮があったとされる地に、官幣大社として創建された。
「畝傍山のシルエットが実に美しい。心が洗われます」
周囲をぐるりと廻廊に囲まれた内拝殿を前に、そう話すのは洋画家絹谷幸二さん。
「雄大で簡素な造りの社殿が目線に映え、厳粛な気配が漂ってきます。神々しいね」
創建当初は京都御所より移築された本殿と拝殿があったのみだが、その後、神域はたゆまず拡張されてゆく。1940年、紀元2600年奉祝式典の再には、約1000万人の参拝者が訪れたという。
その折、全国各地から寄進された樹林は、表参道北側に拡がる森林遊苑となって今の健在。神殿前広場の南神門の外側にある深田ともども、市民の格好の憩いの地となっている。橿原神宮を含む一帯は、橿原公苑として整備されており、その中には陸上競技場や野球場も設置されている。
「橿原の野球場は、高校野球の県予選大会のメイン会場。このグラウンドで白球を追った日々が思い出されます」
とは、かつて県立奈良高校野球部の一員として甲子園を目指した絹谷さんの弁。
「1回戦で優勝候補の御所工高とあたり、引き分けましてね。試合後、御所工の選手は、監督やOBに正座させられ、こっぴごくっ叱られていた。もっとも、翌日の再試合では、実力どおり、大敗しました」
人々に“神武さん”と敬慕される橿原神宮。世界的な洋画家にとってもここは永遠の聖地らしい。(撮影・田村邦男)
<橿原神宮へのアクセス>
橿原神宮/0744・22・4960/奈良県橿原市大谷町248-5/東海道新幹線・京都駅下車~近鉄橿原線・橿原神宮前駅から徒歩で10分。
<プラス1>
畝火山口神社/畝傍山西麓に鎮座する式内社。神功皇后らを祀る。安産の神。/0744・ 22 ・4960/奈良県橿原市大谷町248-5/東海道新幹線・京都駅下車~近鉄橿原線・橿原神宮前駅から徒歩で15分。
平城遷都1300年祭に沸く奈良大和路。それを記念し、県内各地の社寺では、さまざまな文化遺産を特別開帳中だ。洋画家の絹谷幸二さんが訪れたのは、南大和の安倍文殊院。ここに日本三文殊の一つに数えられる高さ約7メートルの文殊菩薩像がある。ただ今は、鎌倉時代、仏師快慶により造立されて以来800余年にして初めて巨大な獅子から降りられた文殊菩薩が、眼前に拝観できる。
「間近で見ると、ぞくぞくするようなオーラを感じます」
そう唸った世界的な洋画家は、スケッチ帖を取り出し、画用紙に鉛筆を走らせる。執事長の東應さんによれば、
「昨秋、文化庁の技官によって文殊菩薩とその脇侍の表面の塗料が剥落するのを防ぐ修理が行われることになった」
そのためには、当然文殊菩薩に降りていただかねばならない。修理自体は、昨年度中に終了したが、せっかくの機会でもあり、“お参りにこられた皆様にも眼前で拝んでいただこう”という配慮から、そのまま公開することとなった次第(11月30日まで)。
創建は7世紀。孝徳天皇の時代に安倍倉梯麻呂が建立したのが始まり。本堂の右手に佇む古墳の石室は、一説にその倉梯麻呂の墓といわれる。唐の玄宗皇帝に重用された阿倍仲麻呂や陰陽師で有名な安倍晴明も、この地の出身。安倍晴明が文殊菩薩の化身とされたことから、鎌倉時代、この文殊菩薩像が造られ、本尊として全国的信仰を得てゆく。
「文殊菩薩の佇まいが大陸風で、さすが仲麻呂ゆかりの寺」と絹谷さん。
「有名な善財童子は躍動感に溢れていて、ほかの脇侍がまた素晴らしい。この空間にはアジアに連なる大きな構えを感じます」(撮影・田村邦男)
<安倍文殊院へのアクセス>
安倍文殊院/0744・43・0002/奈良県桜井市安倍山/東海道新幹線・京都駅下車~近鉄大阪線・桜井駅~「安倍文殊院前」バス停からずぐ。
<プラス1>
文殊院西古墳/文中で触れた文殊院境内の古墳。横穴式石室を持ち、玄室は表面を磨いた切石を整然と5段に組み上げ、天井石にアーチ状にした大きな一枚石を使用。7世紀の安倍氏の権勢が窺える。

2010年上海万国博覧会「日本産業館」
Better Life from JAPAN 日本の創るよい暮らし
5月1日~10月31日開催中の上海万国博覧会「日本産業館」のパビリオン入口にLEDを使った天井画を手がけました。日本産業館は「リユース(再利用)・スペース(超空間)・パルス(脈動)」をコンセプトに、江南造船工場の作業場を改造して作られたものです。大天井画LED『日月天飛翔』(画:絹谷幸二/提供:阪和興業)は、3カ月かけて制作されました。この絵画はLED球による光の点画で光と影を利用し、地上20m離れた空中に映し出されています。

≪日月天飛翔≫(原画)

【関連リンク】
2010年上海万国博覧会「日本産業館」公式ホームページ
http://www.shanghai-expo-sangyoukan.jp/
【アートな匙加減】躍動感を失った日本(5月23日産経新聞掲載)
http://www.artstyle.jp/data/?p=886