【アートな匙加減】目に見えぬ「気」の薬効(2010年8月22日 産経新聞掲載)

コンセプトに高い精神性があり、体力・気力が充実しているとき、画面に向かうと不思議な「気」のような、えたいの知れない「塊」が絵筆の先から描く絵の中にすうっと入ってゆくのが分かるときがある。

 この瞬間を感じ取ったときの絵は、作品がピンと立ち上がり、それ以後どのような形や色彩を手当たり次第に描き込んでも絵が崩れるということもない。そして完成するときまで間違いというものもなく、無意のうちにすべてより良い方向に作画が積み増されていく。描く醍醐味(だいごみ)が一筆ごとに増し、万全のバランスが生まれてゆく。

 まさに、食事をしている間中、上等なワインが終始、良い方向に上りつめていく、あの歓喜にも似ている。画家として生まれた幸運を感じないわけにはいかない。

 しかし、苦渋に満ち、袋小路に入り込み、二進(にっち)も三進(さっち)もいかなくなるときもたまにはある。だが、粘り強くあきらめなければ、この難産な子(絵)が重厚な輝きを増すこともなきにしもあらず、である。

 このようにして、常に私は描くことの喜びの中で生かされているために、世間さまが大騒ぎをしていても、重大な危機にさらされていようとも、気付くことに後れを取ることがしばしばなのだ。

 ところが、絵を描き終えた後、昨今のわが国の姿を冷ややかに細めた目で見ていると、口当たりの良い文言が一瞬、良い方向に上り詰めていくように思えるが、あっという間に青ざめて、急激に味わいが失速してゆく。平凡な、悪酔いをするワインに似ているようにも思える。

 これらのワインは生まれた土壌が悪いのか、気候や熟成に無理があったのか、あるいは酸化防止剤のいたずらか、幾重にも複雑な理由があるのだろうが、まずその種に「気」というものが入り込んでいなかったともいえるのではないだろうか。

 「気」とはいかにも非科学的な物言いだが、満足感や愛情、細胞一つ一つの喜びといったことが病を治癒する大きな力を発揮するように、数値にも表せない、目にも見えない「気配」といった代物こそ、今日の学問や政治の中で最も大切なことではないだろうか。

 「ミラーニューロン」という神経細胞がある。自分と同じ行動をしている他者を見たときに、ミラー(鏡)のように同じ反応をすることで、例えば長年暮らしている夫婦の顔が似てくるのも、ミラーニューロンの影響という。

 ビタミン剤のような画家の気力とともに明るく元気な色彩がバランス良く配色され、調和がとれ、時代の進取の気性と多少の苦み、精神的な高みが描き込まれた絵を、シャワーを浴びるように毎日見ていたとしたら…。見る人の目から脳に入っていく絵画の光は、やがてその人の細胞を元気ある方向に揺り動かすという薬効がある。

 同様に国のトップが毎日、新聞やテレビに現れて発する言葉や、目の光が何百万人という国民にミラーニューロンと同じように伝搬しているに違いない。政治家の発言によっては、国民のほとんどがインフルエンザのような病に冒されてしまう恐れがあると危惧(きぐ)するのである。

 

 

新聞

■『第2回絹谷幸二賞』(2010年3月7日 毎日新聞)

 

■『アートな匙加減』(2009年1月~ 産経新聞掲載)

 絵も野球も勝負は3センチ(2009年1月18日)

 画餅のすすめ(2009年2月20日)

  画家の目は鵜の目鷹の目(2009年3月21日)

 アートパフォーマーは誰か(2009年4月20日)

 水と油の話(2009年6月24日)

 エコは美術とともに(2009年7月29日)

 古代の夢たどる旅(2009年8月26日)

 『地』のリスクマネジメント(2009年11月6日)

 『ちりもみじ』とならぬよう(2010年1月15日)

 素直な『笑顔』が時代の薬(2010年2月21日)

 暗い時代も『善し悪し半分』(2010年3月21日)

  「こころの錦」大切に(2010年4月18日)

  躍動感を失った日本(2010年5月23日)

  空想力と想像力の源泉(2010年7月1日)

   目に見えぬ「気」の薬効(2010年8月22日)

 

■『絹谷幸二展』(2008年9月2日 朝日新聞掲載)

 

■『こころの玉手箱』(2008年2月 日本経済新聞掲載)

第一回 「スキューバダイビング~海底の不思議と恐怖と浮遊感」

第二回 「仏像~美意識育んだ奈良の古刹~」

第三回 「ゴンドラの変速機~ベネチアで過ごした新婚時代~」

第四回 「鳥海青児先生の形見のイス~うまくなっちゃいけないよ~」

 

■『ハローペット』(2008年1月9日 東京新聞掲載)

 

■『春・希望』(2007年1月 日本経済新聞掲載)

 

■『人間発見』(2006年5月 日本経済新聞掲載)

 第一回 「色彩と夢の力は元気の源①」

 第二回 「色彩と夢の力は元気の源②」

 第三回 「色彩と夢の力は元気の源③」

 第四回 「色彩と夢の力は元気の源④」

 第五回 「色彩と夢の力は元気の源⑤」

 

 

■『絵空事十選』(2004年11月 日本経済新聞掲載)

第一回 フランシスコ・デ・ゴヤ「巨人」

第二回 ジョット「キリスト伝 最後の審判」

第三回 マサッチオ「楽園追放」 

第四回 ピカソ「三人の音楽士たち」

第五回 デ・キリコ「放蕩息子」

第六回 シャガール「ワイングラスを持った二人の肖像」

第七回 アントニオ・ガウディ「グエル公園」

第八回 イヴ・タンギー「嵐」

第九回 尾形光琳「風塵雷神図屏風」

第十回 久隅守景「夕顔棚納涼図屏風」

 

 

 

雑誌

■『駱駝』(2006年2-3月号/小学館)

「モン・サンミッシェル 心の巡礼紀行」

 <探求>ロマネスク、ゴシック~教会建築が積み重なった“西欧の驚異”~

 <滞在>島内の老舗ホテル『ラ・メール・プーラール』

 <聖地>クールベ、モネ、ブータン-数多くの画家が描いた絶景

 <発見>ノルマンディーは海外文化の入り口

 

■『サンデー毎日』(2009年9月6日増大号)

 「二代目聞き書き中村吉右衛門」発刊記念

 師弟対談 中村吉右衛門(歌舞伎俳優)絹谷幸二(洋画家)

 

■『週刊新潮』(2010年6月10日号~7月1日号連載)

 ①とっておき私の奈良 【飛火野】 (2010年6月10日号)

 ②とっておき私の奈良 【平城宮跡 第一次大極殿】 (2010年6月17日号)

 ③とっておき私の奈良 【橿原神宮】 (2010年6月24日号)

 ④とっておき私の奈良 【阿倍文殊院】 (2010年7月1日号)

 

 

 

【とってき私の奈良】①飛火野(週刊新潮 2010年6月10日号掲載)

「ここは、ぼくら、悪童の遊び場。映画の撮影隊に遭遇したこともありましたねぇ」

そう回想するのは、猿沢池のほとりで育った洋画家の絹谷幸二さん。奈良市東部、春日山・御蓋山・若草山などの西麓の山野を総称して春日野と呼ぶ。そのうち、絹谷さんがスケッチ帖に鉛筆を走らせている、ここ春日大社参道の南側を特に飛火野という。飛火とは烽の意。古くは狼煙を上げていた場所ともされる。

「世阿弥が書いた名作『野守』の舞台でもあります」

いつのまにか傍に寄ってきた鹿を横目に絹谷さんがいう。

「昔は、家の中にまで平気で入って来た。野生動物とこんなに身近に接することのできる都市はほかにない。自然と人間が共生してきたことを、もっと誇っていいのでは」

絹谷さんの生まれた元林院町は、かつて興福寺ゆかりの絵師たちが住み、絵屋町と称した。実家は江戸時代から続く由緒ある料亭だった。出入りする高畑サロンの文人墨客などの影響で、自然と、芸術や文学に親しむようになった。

学院では壁画科に進む。専ら、漆喰に水で溶いた顔料で描くアフレスコ古典画を学んだ絹谷さんは、現在、その壁画技法の国内第一人者だ。

「奈良の古さに対峙するには、フランスに代表される近代絵画ではなく、イタリアの古典を学ぶ必要があると思った」

1972年、高松塚古墳の石室内で極彩色の壁画が発見されると、絹谷さんはそれまで習得した技法を活かし、保存対策の一役を担った。

「人物群像の女性の顔を見ると、睫毛まではっきりと描かれている。これほど精緻な壁画は世界に類がない。古代人の絵画技術の奥深さに驚かされました」(撮影・田村邦男)

 

<飛火野へのアクセス>

飛火野/奈良市春日野町/東海道新幹線・京都駅下車~近鉄奈良線・近鉄奈良駅~「大仏殿春日大社前」バス停から徒歩で5分。

 

<プラス1>

奈良ホテル/1909(明治42)年に創業した奈良公園内の老舗。瓦屋根の本館は桃山御殿風檜造り。「高い天井にやすらぎを覚えます」と絹谷さん/0742263300/奈良市高畑町1096/東海道新幹線・京都駅下車~近鉄奈良線・近鉄奈良駅~「奈良ホテル」バス停からすぐ。

 

 

【とってき私の奈良】②平城宮跡 第一次大極殿(週刊新潮 2010年6月17日号掲載)

近鉄奈良線の電車に乗って大和西大寺駅を過ぎるとまもなく、線路の両側に広大な野原が目に飛び込んでくる。今から1300年前にわが国の都城に定められた平城京。その北辺中央部に世界文化遺産に登録された平城宮跡がある。

「線路の南に朱雀門が見えると奈良に帰ってきたのを実感したもの。でも、今春からは、北にさらにスケールの大きな大極殿が姿を現したことで、宮殿をより立体的に体感できるようになりましたね」

そう話すのは、奈良市出身の洋画家・絹谷幸二さん。

「文化財は、むろん保護し、後世に伝えていかなければならない。その一方で、平城京の建物の復原工事のように、これからの文化財を創出する作業も重要だと思います」

大極殿は、政治や行政の最も中心となる建物。天皇の即位式や元日の朝賀などの国家的儀式はここで行われた。

平城京に都があった710年~784年の間に2度造られており、復原されたのは第一次大極殿。正面約44メートル、側面約27メートル。朱雀門の約5倍のボリュームがあり、朱色の柱44本、約10万枚の屋根瓦を持つ建物の傍に立つと大寺院の本堂のような迫力を感じさせる。内部には天皇が着座する高御座の実物大模型も展示されており、見物者の興味を集めていた。

「国家を人体にたとえるなら、奈良の地は子宮にあたる」

と喝破する世界的な洋画家。

「緊張した東アジアの政治状況の下、われわれの祖先は、九州から瀬戸内をめぐり、難波から大和盆地に到って、やっと一息ついたのではないか。『古事記』で“倭は国のまほろば”と詠われているのは、彼らの偽らざる本音だったのでしょう」(撮影・田村邦男)

 

<第一次大極殿へのアクセス>

平城宮跡/奈良市佐紀町/東海道新幹線・京都駅下車~近鉄京都線・大和西大寺駅から徒歩10分(117までシャトルバスを運行)。

 

<プラス1>

平城京なりきり体験感/平城遷都1300年祭にちなみ、平城宮跡会場に設けられた施設のひとつ。木簡作成などの仕事体験、疑似発掘体験、平城衣装体験などが楽しめる(117まで)。

 

 

 

 

【とってき私の奈良】③橿原神宮(週刊新潮 2010年6月24日号掲載)

奈良盆地の南部に鼎立して並ぶ大和三山。西に位置する畝傍山の南東麓にあり、約ツに16万坪に及ぶ神域を占めるのが、橿原神宮である。1890(明治23)年、『記・紀』の建国神話の中で初代の神武天皇の宮があったとされる地に、官幣大社として創建された。

「畝傍山のシルエットが実に美しい。心が洗われます」

周囲をぐるりと廻廊に囲まれた内拝殿を前に、そう話すのは洋画家絹谷幸二さん。

「雄大で簡素な造りの社殿が目線に映え、厳粛な気配が漂ってきます。神々しいね」

創建当初は京都御所より移築された本殿と拝殿があったのみだが、その後、神域はたゆまず拡張されてゆく。1940年、紀元2600年奉祝式典の再には、約1000万人の参拝者が訪れたという。

その折、全国各地から寄進された樹林は、表参道北側に拡がる森林遊苑となって今の健在。神殿前広場の南神門の外側にある深田ともども、市民の格好の憩いの地となっている。橿原神宮を含む一帯は、橿原公苑として整備されており、その中には陸上競技場や野球場も設置されている。

「橿原の野球場は、高校野球の県予選大会のメイン会場。このグラウンドで白球を追った日々が思い出されます」

とは、かつて県立奈良高校野球部の一員として甲子園を目指した絹谷さんの弁。

1回戦で優勝候補の御所工高とあたり、引き分けましてね。試合後、御所工の選手は、監督やOBに正座させられ、こっぴごくっ叱られていた。もっとも、翌日の再試合では、実力どおり、大敗しました」

人々に“神武さん”と敬慕される橿原神宮。世界的な洋画家にとってもここは永遠の聖地らしい。(撮影・田村邦男)

 

<橿原神宮へのアクセス>

橿原神宮/0744224960/奈良県橿原市大谷町2485/東海道新幹線・京都駅下車~近鉄橿原線・橿原神宮前駅から徒歩で10分。

 

<プラス1>

畝火山口神社/畝傍山西麓に鎮座する式内社。神功皇后らを祀る。安産の神。/0744 22 4960/奈良県橿原市大谷町2485/東海道新幹線・京都駅下車~近鉄橿原線・橿原神宮前駅から徒歩で15分。

 

【とっておき私の奈良】④安倍文殊院(週刊新潮 2010年7月1日号掲載)

平城遷都1300年祭に沸く奈良大和路。それを記念し、県内各地の社寺では、さまざまな文化遺産を特別開帳中だ。洋画家の絹谷幸二さんが訪れたのは、南大和の安倍文殊院。ここに日本三文殊の一つに数えられる高さ約7メートルの文殊菩薩像がある。ただ今は、鎌倉時代、仏師快慶により造立されて以来800余年にして初めて巨大な獅子から降りられた文殊菩薩が、眼前に拝観できる。

「間近で見ると、ぞくぞくするようなオーラを感じます」

そう唸った世界的な洋画家は、スケッチ帖を取り出し、画用紙に鉛筆を走らせる。執事長の東應さんによれば、

「昨秋、文化庁の技官によって文殊菩薩とその脇侍の表面の塗料が剥落するのを防ぐ修理が行われることになった」

そのためには、当然文殊菩薩に降りていただかねばならない。修理自体は、昨年度中に終了したが、せっかくの機会でもあり、“お参りにこられた皆様にも眼前で拝んでいただこう”という配慮から、そのまま公開することとなった次第(1130日まで)。

創建は7世紀。孝徳天皇の時代に安倍倉梯麻呂が建立したのが始まり。本堂の右手に佇む古墳の石室は、一説にその倉梯麻呂の墓といわれる。唐の玄宗皇帝に重用された阿倍仲麻呂や陰陽師で有名な安倍晴明も、この地の出身。安倍晴明が文殊菩薩の化身とされたことから、鎌倉時代、この文殊菩薩像が造られ、本尊として全国的信仰を得てゆく。

「文殊菩薩の佇まいが大陸風で、さすが仲麻呂ゆかりの寺」と絹谷さん。

「有名な善財童子は躍動感に溢れていて、ほかの脇侍がまた素晴らしい。この空間にはアジアに連なる大きな構えを感じます」(撮影・田村邦男)

 

<安倍文殊院へのアクセス>

安倍文殊院/0744430002/奈良県桜井市安倍山/東海道新幹線・京都駅下車~近鉄大阪線・桜井駅~「安倍文殊院前」バス停からずぐ。

 

<プラス1>

文殊院西古墳/文中で触れた文殊院境内の古墳。横穴式石室を持ち、玄室は表面を磨いた切石を整然と5段に組み上げ、天井石にアーチ状にした大きな一枚石を使用。7世紀の安倍氏の権勢が窺える。

 

【アートな匙加減】空想力と想像力の源泉(2010年7月1日 産経新聞掲載)

 元巨人軍監督の川上哲治氏の少年野球教室ではないが、私も全国各地の小中高校を訪ねる絵画の出前教室を行っている。

 レーガン米元大統領はソ連との冷戦時に理数系の授業を増やし、絵画・音楽の授業数を短縮した。当時のニューヨーク近代美術館館長のガンツ女史はニューヨーク在住の著名な芸術家80人と財団を創設し、欠落した芸術分野の授業を補完するための出前授業を始めた。平成5年にニューヨークの高島屋ギャラリーで個展をしていたこともあり、この事業に招聘(しょうへい)され、マンハッタンの小学校3校を訪れて絵を教えた。

 子供たちは異国の芸術家に大変興味を示し、活気ある授業を行うことができた。このとき、芸術がいとも簡単に言語や国境を飛び越える自由の翼を持っていることを学んだ。それに、芸術家と美術館との素早いタッグによる授業の質の向上と、欠落した部分に手を差しのべるスピード感に感激したものだ。

 帰国後、日本の芸術専門の先生の採用数が、全国の小中高合わせて年間40人にも満たないことを知り、文化庁にその補完として出前授業を提案した。日本芸術院がこの事業を受け入れ、現在、会員有志による絵画芸術の出前授業が実行されるようになった。

 昨年、北京に行ったときは、在北京日本人学校の小学生高学年の授業を行った。大使館職員にも手伝ってもらい、2人一組で友達の顔を描いた。和やかで活気ある図画教室となった。

 母校の奈良の学校を皮切りに、先日は岐南町立東小学校(岐阜県)を訪れた。150人程度の小学生を指導し、皆は明るく楽しく絵を描いた。まず絵の具の色彩の作り方を教えたが、これは画学生や同業者には決して教えない、私の“秘法”。参観の先生方もこれにはビックリし、出来上がった絵は一瞬にして150人の熟練色彩画家の作品となった。

 学校は頭を使って勉強する場所だが、たまに触媒のような業の体験授業も必要だ。生徒たちの目が光を帯び、自信が満ちた表情やセンスを引き出すことができる。色彩を調合するだけで、かくも複雑で滋味あふれる深さが出るものか、ということを理科の実験とは異なる場所で行い、この味わいが家庭科の料理で出す「味」と共通することを生徒たちに話した。

 甘さや辛さ、酸っぱさなどの調合と色彩の調合は何一つとして異なるところはない-と話すと、特に女子児童の目がキラキラ光った。教えている私までも子供たちに接していると豊かで幸福な気持ちになってくる。

 今後も、7月に四国・松山から車で1時間の場所にある全校児童数48人の久万高原町立明神小学校(愛媛県)や浜松学芸高校(静岡県)、10月は星野学園中学校(埼玉県)と遠出が続く。

 かつて私が子供のころ、学業の傍ら訪ねる図画や音楽の先生の部屋が楽しいたまり場、避難場所であった。今日の行き場のない児童・生徒たちはどうなのだろう。やはり芸術と音楽が心のよりどころになりはしないか。

 歴史が教えているように、経済、法、科学とあらゆる分野で空想力と想像力の源泉である芸術が語られれば、わが国も飛躍的に繁栄すると思うのだが。(きぬたに こうじ)

 

上海万国博覧会「日本産業館」天井画制作

 

2010年上海万国博覧会「日本産業館」

Better Life from JAPAN 日本の創るよい暮らし

 

 

51日~1031日開催中の上海万国博覧会「日本産業館」のパビリオン入口にLEDを使った天井画を手がけました。日本産業館は「リユース(再利用)・スペース(超空間)・パルス(脈動)」をコンセプトに、江南造船工場の作業場を改造して作られたものです。大天井画LED『日月天飛翔』(画:絹谷幸二/提供:阪和興業)は、3カ月かけて制作されました。この絵画はLED球による光の点画で光と影を利用し、地上20m離れた空中に映し出されています。

 

≪日月天飛翔≫(原画)

【関連リンク】

2010年上海万国博覧会「日本産業館」公式ホームページ

http://www.shanghai-expo-sangyoukan.jp/

 

【アートな匙加減】躍動感を失った日本(523日産経新聞掲載)

http://www.artstyle.jp/data/?p=886

 

 

 

 

 

【アートな匙加減】躍動感を失った日本(2010年5月23日 産経新聞掲載)

 今月1日に開幕した上海万博。その中にある「日本の創るよい暮らし」をテーマとした日本産業館は古い造船所を再利用したもので、壁面を上り下りするロボットをテレビで見た方もいるだろう。そこで天井画を3カ月かけて手がけた。富士山の日の出を描いた「日月天飛翔」で、電飾(LED)を使っているため地上20メートルできらきらと輝いている。

 4日からは中国の現代アートを紹介する「改造歴史2000-2009年的中国新芸術」展が北京で開幕し、こけら落としに出席した。ともに電飾の広大さと、美術展会場の大きさは日本人の感覚を超えるもので、圧倒されるものがあった。国が広ければかくのごとしと思えるほどで、美術展では、世界の画友や批評家、画商らを一堂に集めた華々しさに圧倒された。晩餐(ばんさん)会も出色で、中国の美術史などをスクリーンいっぱいに紹介し、大勢の若手芸術家を一堂に舞台に上げ賞状や記念品を一発で授与して終了した。

 その後の宴会ではオーケストラが入る会場に2千人を超える出席者が着席し、フルコースをいただいた。画人の集まりとしては破格の扱いだ。自国の画人たちをかくも優遇し、国際的に紹介し、この展覧会の分厚い画集まで作る。30年前の中国の美術事情を知る私にとって青天の霹靂へきれき)のような変化であった。

 さらに、驚いたのは、北京の大山子地区にある「798」大山子芸術区。多くの空いた国営工場をギャラリーやアトリエにしている場所で、世界中の幾百もの画人や画商が入り、観光客を多く集めている。

 大変高額な値段で絵を売っているのは日本のバブル期を思いださせるが、自国の作家を宣伝し、彼らを世界の大画家に仕立て上げているそのシステムと規模は、インターネットなどでも怒濤(どとう)の勢いで世界を駆けめぐっている。

 私が会った方力釣(ファン・リジュン)という画家は、有名なレストランを数軒経営し、店の前には新車のベントレーがドンと鎮座していた。中国直属の国立美術大学「中央美術学院」(北京市)の教授たちも同様で、自前の会社を数社持ち、商売にもそのエネルギーを注いでいる。

 このような躍動感は、かつてわが国にも見られた。だが、近年は政府の懐から出る研究費や助成金をあてにしている人が多く、何とも情けないと言わざるを得ない。

 また、日本の政治も後ろ髪を引っ張られて何事もなし得ず、国民はそれを見てジリジリし、前に進む気力をそがれそうな今日このごろではある。

 「コンクリートから人へ」として公共事業費を大幅削減する鳩山政権だが、これでは安心して住める都市もできず、不燃の都市を構築し、一人でも業火から守るということも、この体質ではままならない。バラックのような都市は、大災害時に大きな怠惰の罪を受けるに違いない。

 事業仕分けとやらで節約することに越したことはないが、かくなる上はわれわれ一人一人が自身のエゴをかなぐり捨てて、何が人を幸せにするかの大キャンペーンを張り、自らの手で自らを守るというところまでに、日本は来ているのかもしれない。(きぬたに こうじ)