1991年 48歳 ≪Yes or No≫

ミックス・メディア 194×254.5cm

 

これは、キリスト教の「神を信じるか、信じないか、

Yes or No をもっともシンプルに答えよ」という、聖書の一節からきている。

私達の東洋の世界では、Yes or No の他に、YesとNoの間が存在している。

私達は、そのないまぜになった世界で生活したせいか、

即座にYesまたはNoといった決定的な言葉をかえす習慣をもっていなかった。

それが、私にとって大変なカルチャーショックであった。

しかし、この次の世紀はかえって、そのファジーなYesとNoの間の世界、

白黒をつけない世界、つまり融合する世界、すべてが許しあえる世界、

そんな世界が世界のあらゆる紛争を防ぐのではないかと思っている。

悪人も善人も来世では、地獄に落ちるのではなく、

そのすべての人が救われるといった世界が構築できないか、などと思っている。

 

 

 

 

1987年 44歳 ≪O氏へのレクイエム≫

ミックス・メディア 162×130cm 

 

大島毅先生がなくなられた悲しみを絵にした。

氏は、遠くアフリカまで、医療の派遣でゆかれた。

その1年間の間に、肺炎をもらってきてしまったのだろう。

人を助ける医師が、

人を助けるために自分の命を落とされた。

その悲しみを絵にした。

 

 

 

 

1991年 48歳 ≪木霊・祈り≫

ミックス・メディア 181.8×227.3cm

 

私は、私達、日本の位置がアジアの下流にあることを知っている。

上流は木々が生い茂るところ、風の起こるところ、アジアの源。

その木を切り倒してしまうと、私達の国には洪水が起こる。

つまり、アジアの上流を枯らしては、日本の生存もないのだ。

私はフレスコ画をやっている関係で、漆喰のもの石灰岩が貝殻で作られ、

またもとに戻って行く輪廻というものを感じている。

日頃、私達は、自然が私達を楽しませるために

目の前に広がっているという錯覚に陥っているのではないだろうか。

だが、その目に見える自然を見ている私自身も自然の一部と考えれば、

木は私とほとんど同位置にある。

私は、木は人間が逆さになって、地面につきささっているのだ、とさえ考える。

つまり、自然を見ているもの自体、私達自身が自然であるのだ。

木を倒すことは、身を切るような思いがする。

 

 

 

2001年 58歳 ≪蒼穹夢譚≫ 日本芸術院賞受賞

 

ミックス・メディア 193.9×259.1cm

 

俵屋宗達の描いた風神と雷神も、

シルクロードの永い旅路をたどった異形の神々です。

二人の神の間の空間に光を投ずれば、

風のエネルギーと稲妻のエネルギーがみなぎる大空になります。

けれども、ひとたび光を閉ざしてしまうと、

茫然とした闇の支配に還らなければなりません。

今は月の明るさなど、さほどありがたみを感じることはなくなりましたが、

仏にかわる造形に競って金を施した時代は、陽光よりも月や灯明など、

夜にほのめく光の感性が研ぎ澄まされ洗練されていたのです。

 

 

 

1977年 34歳 ≪アンジェラと蒼い空Ⅱ≫

1977年10月 文化庁昭和52年度芸術家在外研修員として渡米、渡欧(1978年10月帰国)。

昭和51年度文化庁優秀美術作品買上げに≪アンジェラと蒼い空Ⅱ≫が選ばれる(東京国立美術館蔵)。

 

ミックス・メディア 193.9×259.1cm

 

ヨーロッパに来て、遠く故郷を思う。

こんなに蒼く澄んでいる空。

なのにアンジェラは泣いている。

サン・ジョルジョ塔が見え、バンディエッラ(国旗)がはためく。

 

遠くイタリアまで来ても、来たからこそ私は異邦人。

なぜか広島のことを思い至り、日本のことを思っていた。

 

アンジェラの頭の球形は原爆ドームからのイメージ。

人は、こんなに美しいアンジェラさえ、滅びてゆく。

そんな時間の経過があるのに、

バラはまた彼女の足元で美しく伸びてゆく。

 

海と空の間で、その美しい風に唄った。