【アートな匙加減】素直な笑顔が「時代の薬」(2010年2月21日 産経新聞掲載)

 バンクーバー五輪たけなわの昨今、日本のアスリートたちは世界に伍(ご)して雪上や氷上で大活躍をし、素晴らしい雄姿でわれわれを日々楽しませてくれている。

 男女フィギュアスケートはもとより、スピードスケート男子500メートルでは、長島圭一郎選手が大逆転で銀メダルを獲得し、同僚の加藤条治選手も3位に入り、今大会の日本勢初メダルをダブル受賞することになった。また、フリースタイルスキー女子モーグルの上村愛子選手は惜しくも4位となり、メダルを逃したとはいえ、金メダルにも勝る白雪にキラリと輝くすがすがしいプラチナのような涙の「愛子スマイル」を見せてくれた。

 そもそもわれわれ日本人は、ことさら笑ったり、喜んだりすることを何かしら自粛している様子で、喜怒哀楽というものを他人には見せないシラーッとした控えめな空気がもともと美しいと思われたりする。ことに近年、不気味なほどの無表情が良いとされているのか、押し殺したような、揚げ足をとられぬような知性的にも見える表情が一般に大手を振って歩いている。そのせいか、「愛子スマイル」が際だって美しく見える。

 この国は、万歳をしてすべてを忘れ、深い思慮のもと計画し着実に実行するというより、まずは「動き出す」という情緒型で付和雷同型であったような気がする。

 この衝動的な性格を隠すためか、やたら知恵があるやにポーカーフェースを装っているのか、動き出すには半歩遅れ、笑いも皆の反応を見てから笑い出すといった気風。サッカーのパス回しこそが上手の手本とばかり、ゴールを忘れて仲間意識の謙譲の美徳とやらにうつつを抜かし、ここ一番の何が大切かということはどうやら後回しになるというチームワークのはき違い。

 それに引き換え、唯我独尊が許される個人単体の競技は、かなり良い動きとなる。組織的な動きが本来、わが国の特徴であるはずだったが、いつの間にか筋子状態となってお互い手足を縛って動きづらい状態に今やなっているのではあるまいか。ことに団体となった場合、個性を殺しすぎるあまり高どまりしたスモッグのような塊となる。天井を突き抜ける者が出ず、危機に際して次なる異次元の発想ができなくなるという点が目立ってきているようだ。

 「みんなで渡れば怖くない」のは過去の時代の発想であり、時代は急に転回し、今は昔だともいえる。つまり異端をも組織の中で大切にし、むしろ毛色の変わった半端者を養っておく必要に迫られているのが今日このごろではなかろうか。世間様をいささか遠目で見ている異質な画家には、そう見えてくる。

 われわれの世界にも同様なことが起こっているが、少し違うのは「正解」という答えが100万通り存在し、どれ一つとっても「間違っている」という答えはない。

 その時代で不正解であっても、次の時代に正解ともなりうるし、その逆もまた存在する。それゆえに、この仕事に定年というものもなければ、年齢や地位といった定めもなく、一生涯が現役であり、素浪人であるという厄介な職業でもある。やはりこの時代は「愛子スマイル」のようなほほえみが一番のお薬だともいえる。(きぬたに こうじ)

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