新年度が始まり、ランドセルを背負った新小学生や、スーツ姿の新入社員の姿を見かけるようになった。みな、希望と不安で胸がいっぱいだろう。
人には誰しも自身に対する応援歌のようなもの、またはその人となりを表す持ち歌がある。若く貧乏を友として絵を描いていた画学生のころ、私が画面と対峙(たいじ)してふと口について出る応援歌に、「ぼろは着てても こころの錦」と歌う水前寺清子さんの「いっぽんどっこの唄」があった。
もう今の学生たちには見られないが、絵の具だらけの作業服を着て、体はやせ細り、希望に燃える目だけが大きくギョロリと光っていた。大学の近くにある東京・上野の動物公園で飼われていたシロクマ同様、近辺をうろうろしていたものだ。わが国の経済が急成長を遂げ、大きく怒濤(どとう)のように様変わりしていく中で、絵などという絵空事の世界でうつつを抜かしているわれわれは、社会から遠く取り残されていくという恐怖にさらされながらも、「こころの錦」とやせ我慢していたのかもしれない。
さりとて、当時はもし極限まで貧した場合、アルバイトや仕事がないわけではなかった。手先の器用さを利用し、陶芸で茶碗(ちゃわん)でも作るなど生きていくすべはあった。しかし、当時の直接の師であった東京芸術大学壁画科の島村三七雄(みなお)先生からは、厳しくご法度が出されていた。「手には触覚がある。画業が確立するまでは、生活が比較的成り立ちやすい陶芸には手を染めてはいけない」と。
手で触れることができない「絵」という視覚だけを頼りにイメージの世界を旅する者にとって、ヌルヌルとして心地よい手触りが現実に近づくということなのか。生活が成り立つ確率が高いために、苦難が待ち受ける画業から離れることを戒めるためなのか。または、アルバイトをするよりもいちずに絵を描けということなのか。とにかく厳しいご法度ではあった。
実は、このご法度を一度だけ破ったことがある。それは、生活は苦しかったが結婚をするときだった。引き出物を買うお金がなく、当時親しくしていた、数学者で武蔵大学学長の正田建次郎先生のお宅に手作りした陶器の窯で引き出物のぐい飲みを作り、皆さまに持ち帰ってもらった。
焼き上がって夕闇にチリチリと冷めていく音を聞きながら、この感覚は絵画にはない魅力で、絵を描く者にとってはやはり手を出してはいけない世界だと肝に銘じたものだ。
絵を描くことと陶芸は同じ芸術の世界ではあるが、ひとつのことを極めようとするとき、手を出してはいけない魅力的なことはたくさんある。
野球をしていて一打逆転の場面に打席に立ったとしよう。一球を打ち損じないためには、球筋を一点に絞り、あえてストライクを悠々と見送る勇気も実は大切なことだともいえる。
新たなスタートを切ったみなさんは、これから巨大な波にのみ込まれることもあるだろう。そのときは自分の立場を見極めた行動をとる一方で、剛速球がきてもこれに立ち向かう勇気をもってほしい。そしていつも「こころの錦」、自分の心を大切に。(きぬたに こうじ)